こんにちは!店長のフジムラです。今日は北インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州のヒマラヤ水晶について感じたことを書かせていただきます。水晶って、透明な石の代表みたいに思われることが多いんですが、実際にじっくり見ていると、むしろ「いろんなものを抱えている石」だなあと感じます。
光の反射。
白い霞。
内包物。
小さな傷。
結晶が育ってきた途中の痕跡。
完全に均一で、完璧にまっさらな水晶って、実はそんなに多くありません。

北インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州。
クル渓谷やマニカラン、パールヴァティ渓谷の名前で流通しているヒマラヤ水晶にも、そういう“自然の途中経過”みたいな表情がよく残っています。
このあたりは、インド北部の山岳地帯です。
ビアース川やパールヴァティ川が流れる、かなり起伏の大きい地域ですね。
でも、石を触っていると、地図の情報より先に感覚の方が来るんです。
冷たい。
でも、ただ冷たいだけじゃない。
結晶の面を指でなぞると、つるっとした場所もあれば、少しざらついた場所もある。照りの強い面は光を鋭く返すし、曇った部分は光を奥に沈める。
透明なはずなのに、覗き込むと、小さな景色みたいなものが浮かび上がってくるんですよね。
特に、緑泥石(クローライト)を含んだ水晶は面白いです。

透明な結晶の中に、苔みたいな緑がふわっと入っていることがあります。森みたいに見えることもあるし、霧の奥の風景みたいに見えることもある。
鉱物的には「内包物」なんですが、見ていると、単なる不純物という感じがしなくなってくるんです。
むしろ、その石が育ってきた記録みたいに見えてくる。
石は、静かです。
でも、静かだからこそ、じっと見ているといろんな表情が出てきます。
天然石を扱っていると、「透明度が高いほど良い」という見方だけでは語れないなと思うことがよくあります。

細かなクラック。
少し白く曇った部分。
うっすら入ったスモーキーの色。
先端の小さな欠け。
もちろん、ピカピカで完全無欠な石にも魅力はあります。
でも、こういう少しラフな部分に、僕はけっこう惹かれるんですよね。
欠けたポイントには、山から降りてくるまでの衝撃がある。
曇りには、結晶の成長が単純じゃなかった痕跡がある。
そんなふうに見えてくると、石の見え方が少し変わります。
ヒマラヤ水晶という名前自体は、実はかなり広い呼び方です。
ネパール、インド、チベット周辺、パキスタンなど、ヒマラヤ山脈に連なる地域の水晶がそう呼ばれることがあります。
なので個人的には、「ヒマラヤ水晶」というだけより、クル渓谷、マニカラン、パールヴァティ、マナリ、みたいな地名まで添えてあげた方が、その石らしさが伝わる気がしています。
もちろん、水晶に特別な力があると断定するつもりはありません。
ただ、石を眺めていると、不思議と呼吸がゆっくりになることはあります。
光に透かしてみたり。
内包物の形を追ってみたり。
表面の小さな欠けを触ってみたり。
そういう時間って、意外と気持ちが静かになるんですよね。

山の時間は、人より遅い。
ヒマーチャル・プラデーシュ州のヒマラヤ水晶は、個人的には「完璧な透明感」を楽しむ石というより、「奥行き」を楽しむ石だと思っています。
澄んでいるけれど、無垢ではない。
欠けているけれど、損なわれてはいない。
内包物を抱えているけれど、それが濁りではなく風景になっている。
そういうところが、この石の魅力なんじゃないかなと思います。
小さな結晶を手のひらに乗せて眺めていると、遠い谷の空気がほんの少し近づいてくる。
ヒマラヤの石って、そんな距離感を持っている気がします。

天然石に魅せられて仕入れのために世界各国を飛び回る、Storiaの店長です。大阪市福島区で育った二児の父。学生のころからミネラルショーにも参加するほど石が好きで、中国やロシア、ブラジルに原石を探しに行ったり、アメリカでクリスタルヒーリングのセッションを受けたことも。特技は何でも食べられる(ようになった)こと。


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