ジュエリーの歴史 ジョージアン期からヴィクトリア朝まで

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ツルタです!1700年代に入ってより綺羅びやかに輝くジュエリーの歴史についてお話します。

ジョージアン様式(1714-1830)

アンティークジュエリー

ジョージアン様式の時代になると、ジュエリーは貴族や上流社会の人々が主に身につけるものに戻りました。

この時代のジュエリーは、弓形や葉形など有機的なモチーフで華やかに彩られたロココ様式に代表され、シルバーとイエローゴールドが融合しているのが特徴です。

ジュエリーはたまに、お揃いの複数の作品で構成される組合せ(パリュール)で作られ、それらを分解してさまざまな方法で身につけることも可能でした。

フラットカットやローズカットの鮮やかな色彩の宝石はこの時代の典型で、ジュエラーは宝石の裏面を閉じたり箔押ししたりして、初期のカット技術による欠点を隠し、さらに生き生きとした作品に仕上げたんです。

ジョージ王朝時代には、肖像画や恋人の瞳のミニチュア、ゴールドバンドに詩を刻んだポージーリング、宝石の頭文字が「Regard」「Dearest」などの愛情表現を綴ったロケット、リング、ブレスレットなどのジュエリーも人気を集めました。

このように宝石の頭文字で秘密のメッセージを伝えたものをアクロスティック・ジュエリーと呼びます。

ヴィクトリアン様式(1837-1901)

カメオ

ヴィクトリア朝は、3つの重要な時代にまたがっています。

いわゆる「ロマン主義時代」は、ヴィクトリア女王が皇太子と結婚した時代を指します。

ハート、恋人結び、花、弓、三日月、蛇など、センチメンタルなモチーフが主流となりました。

実際、ヴィクトリア女王は蛇の婚約指輪を身につけ、不滅の愛を表現していました。

この時代は、産業革命や南アフリカでのダイヤモンド鉱山の発見による大きな変化もあったのです。

グランドピリオド期とは、女王がアルバート公の死を悼んだ20年間を指します。

暗く沈んだウィットビージェット、オニキス、ディープガーネットが流行し、喪に服すためのメモリアルジュエリーは、自分だけのリングやロケットが作られました。

※ウィットビーはイングランド北東部、イギリスの北海沿岸の町の名前

また、エトルリア、ギリシャ、ルネッサンスの影響を受けたリバイバル・ジュエリーも流行しています。

当時の中流階級は、高級ジュエリーを身に付けて旅行することができ、イタリアを含むグランドツアーでは、マイクロモザイクやシェルカメオで名所や都市を描いた「スーベニア(お土産)」が提供されました。

後の時代には、幸運や幸運のシンボル、自然主義的な造形など、軽快さが戻ってきたことが見て取れます。

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